常に個性的で、話題性の高い空間を作り続ける株式会社スーパーマニアック。
地域の物語をつむぎ、世界へ伝えていく"Region Branding"という手法で、さまざまな店舗やホテルなどの空間をデザインされてきました。これまで、どのような考えで店舗のコンセプト設計やデザインに取り組んできたのか。同社代表取締役 今福彰俊さんにインタビューしました。
ー創業されて、今年で23年。いまや国内外問わず、旅館やレストラン、小売店に至るまでジャンルに富んだ店舗づくりに携わっていますが、まずは今福さん自身のキャリアについて教えてください。
今福彰俊さん:おかげさまで、これまで1000店舗以上の店舗づくりに携わってきました。でも、独立した当初から順調だったわけではありません。
僕自身のキャリアとしては、広告代理店に入社しマーケティングや広告宣伝を学び、そして木原卓也さんという方(※)の元で数年鞄持ちをやっていました。いろんなトップクリエイターと一緒に仕事をさせてもらい、その後独立。
ただ当時は、まだ広告・企画の仕事は大手広告代理店がシェアのほとんどを占めていて、個人のクリエーターが仕事をできる時代ではありませんでした。独立後、4年間は仕事がなくて大変な思いをしました。
—それは意外でした。そこからどのようにして店舗設計の道に進んだのでしょうか?
そうして悩んでる時に偶然舞い込んできた、とある魚屋のディスプレイ提案が僕にとっての大きな転機になりました。
ある魚屋さんが斬新なお店を作りたいという要望に対して、大工さんが理解してくれないので困っているということで、知人から紹介を受け、お会いすることになり、そこで、お話をして意気投合し、僕が間に入ることになりました。
当時の店舗の主流は「できる限り店内は明るく、道幅は広く」が主流でしたが、僕は、店舗内の照明をあえて暗くして、商品の魚だけにスポットを当てて、魚が浮き上がるように仕掛けたのです。また道幅も人と人がギリギリすれ違える程度まで狭くしたのです。そうすることで道を挟んで左右にしっかりと目がいき届き、買い上げ点数が劇的に伸びたのです。
他にも、お客様の目の前で魚を捌く様子を見せられるよう、作業台を配置したりとかして魅せ方をとにかく追求しました。
魚屋に当時VMD(ヴィジュアルマーチャンダイジング)といったディスプレイの概念を戦略的に考える人なんていなかったから、面白い魚屋ができたと話題になったんです。
今まで来なかった若い主婦層も来るようになって、なんと売上が180%UP!すごいでしょう?!笑
—180%アップはすごいですね!確かにそんな見せ方にこだわった魚屋さんってなかなか見たことないですし、当時からすると斬新だったんでしょうね。
それをみた近隣の魚屋からも「うちもやってほしい」と立て続けに依頼が殺到しました。気がついたら一時期魚屋だけで20件ぐらいやっていました。笑
そこから、店舗デザインの仕事に本格的に取り組んでいったんですが、いざ現場に立って、魅力的な店づくりをするにはマーケティングの知識だけでは不十分だ、もっと勉強しないといけないと痛感したんです。だから周りに頼みこんだりして、設計を一から教えてもらったりしながら独学でキャリアを積み重ねてきました。
そうして、勉強しながら、レストランなどに営業に行きはじめたんですが、最初のころは、実績が全くないので、苦労しましたね。
それでも、お仕事が徐々に増えていって、いろんな業態をやるようになっていくうちに国内外問わず様々な賞を受賞するようになり、雑誌にも掲載されるようになって、徐々に会社の知名度も上がってきた感じです。
ー広告の仕事を生かしながら、店舗設計は一から勉強されたんですね。今のお話にもあった通り、外観やディスプレイを含めて非常にユニークな店舗づくりをするのが貴社の特徴だと思うんですが、どういったことを意識して、コンセプトづくりや店舗デザインをしているのでしょうか?
まず、クライアントの利益を何よりも1番に考える、そして、作品づくりではなく商品づくりをすることです。
僕は仕事の完成形は「作品・商品・製品」の3種類のいずれかだと考えています。僕らの手がけた店舗は独自性に目が行きがちではありますが、決して作品的なデザインをつくっているわけではないんです。
僕自身も若い時はそうだったし、若いデザイナーがよくやってしまいがちなのが、クライアントの要望と自分たちがやりたいことをマッチングさせようとしたり、作品づくりに終始してしまうことです。奇をてらったものをつくれば最初は物珍しさで人が集まるかもしれません。でも、中身も作り込んで多くの人に喜んでいただける’’商品づくり’’をしていかないと、次の来店につながらない。そもそも、店舗のものやサービスが実際に売れていかなければ、クライアントの経済活動が成り立たないわけです。
だから僕らの仕事は、クライアントが持っている資産や強みを見つけ、そこを磨いて尖らせてあげること。そして、それがデザイナーとして1番大事な仕事だと考えます。
クライアントがやりたいことと、僕たちから見たクライアントの強みは、少しずれていることも多いので、まずはそこをしっかりあきらかしていくこと。クライアントの強みをどんどん引き出していけば、自然と独自性あふれるブランディングができていくわけです。なので、立地や店舗の特徴、人や展開する商品やサービスをしっかり観察して、’’売れる店’’にする仕掛けづくりを心がけています。
ーなるほど、青森ねぶたワールドや、本巣ヱなど、すごいインパクトがあるんですが、そういったプロセスから生まれたデザインなんですね。
そうです、まさに青森ねぶたワールドは”ねぶた祭り”に、本巣ヱは”卵の巣”に、それぞれ焦点を当てて店舗デザインに反映させた結果です。
それが、結果的にインパクトがあり、お客様の集客にも繋がるデザインになりました。
ーあとは、地域性・土着性に着目するRegion Brandingということも掲げられていいると思いますが、それについても詳しくお教えいただけますでしょうか?
どんな地域であっても、その土地にしかない土着性というものがあるんです。どんな店舗でも、そこにしかない特徴がある。例えば大阪で言えば心斎橋筋、堺筋とかそういった通りの違いだけでも、そこを歩く人の行動、そこに住んでいる人のタイプだったり、土地がもつエネルギーが違ってくる。そういう地域性や筋性といったものをしっかり掴んでおくんです。
そのうえで、店舗を考えます。植栽とかといっしょで店舗にも顔となる部分、つまり「オモテ」と「ウラ」がある。
例えばうなぎの寝床みたいに奥に向かって長い店舗だったら、長さを活かしてあげる。突き当たりの奥の壁にミラーを入れてより長く見せるとか、ものさしみたいに白のラインをいれて長さを強調する、といったことをやるわけです。空間と対話しながら、その空間がどういうことをやってほしいかを汲み取って、特徴を引き立たせる要素をデザインの中に忍ばせていく。
まとめると、地域性や筋性、そして店舗のポテンシャル、其々のパワーをうまく引き出して総合的にデザインにまとめ魅力を訴求していくことが、Region Brandingです。これを徹底的にやることで、クライアントが成功する確率もかなり上がります。本当、効果絶大だと思います。
ー貴社ではいち店舗づくりだけでなく、そのエリア(街)に必要とされる業態もプロデュースするとお聞きしましたが、これまで手がけた事例についてもぜひ教えてください。
兵庫・城崎温泉の中にある「時と季(トキトトキ)」というスモールラグジュアリー旅館の走りとなった極小旅館を手掛けさせていただいていたのですが、その旅館の成功をきっかけに旅館周辺の小売店舗もいくつかやらせていただきました。
城崎って、みんな宿を起点に周辺をぶらぶら歩くじゃないですか。「〇〇でお茶して、□□で遊んで、△△でお土産買って帰る!」という感じで、温泉街での観光客の動線をつくりたいと考えたんです。お店という「点」をいくつかつくり、ストーリーとともに「線」に繋げるイメージですかね。
志賀直哉の短編”城崎にて”を筆頭に、短編小説だけを集積し3000冊近くを揃えたブックカフェ&お土産屋の「短編喫茶 Un」、や城崎に行ったら卵パンと言わしめる行列店の「本巣ヱ城崎総本家」、バーガーショップ「ロコ」などを実際に作りました。いずれも、城崎温泉という土地のイメージを店舗デザインやコンセプトで体現した店舗づくりとなっています。
これ以外にも、淡路島の「うずしお科学館/うずの丘 大鳴門橋記念館」や京丹後の「間人温泉 炭平旅館」や「へしこ工房 HISAMI」などは、今も取り組んでいます。いずれも多くのお客様に来ていただいて、テレビ取材などが絶えないようで、嬉しい限りです。
ーこれからやっていきたいことやビジョンはありますか?
基本的には今と変わらないと思っています。
ただ、まだまだ認知度が足りていないと思ってるので、今後は、一般の方にもより僕ら自身のブランド認知というか、存在を知っていただけるようにしたいです。
街を歩いていて店舗を見るなかで、「ここをこうしたら、もっと良くなるのに!」って感じることも多い。出店や改装をしたいと思った時に、気軽に声をかけてもらえる存在になりたい。そうすれば、もっと皆さんのお役に立てるんじゃないかなと思っています。
店舗デザインというと、作品的なものや、デザイナーが思うお洒落でかっこいいものをつくる人が多い印象です。
しかし、今福氏のデザインは「マーケティング理論に基づいた、集客のためのデザイン」であること。そして、その地域・空間のもっているポテンシャル、業態や商品の特徴・強みを最大限に活かすデザインをしています。その結果、エッジのきいたデザインとなり、店舗を賑わせ、ひいては街全体を賑わせることにつながる。
単なる店舗デザインにとどまらない、ノウハウと情熱が込められていました。
※注釈
木原 卓也氏(故)プロフィール
1948年10月3日生まれ 環境学博士/コンセプター/クリエイティブディレクター
【主な活動】 マンハッタンで世界の名門ヨッドクラブを集結させた国際イベントIYCC1988総合プロデュース/モナコ公国のアドバイザーとしてIYCCモナコ1990プロデュース/1991年、ワールドトレードセンタークラブの総合計画を大阪市経済局の顧問として行う/1991年「移動通信の未来」をアーサーアンダーセンとNTTの依頼で論文化、携帯プームのシナリオとなる/1990年代は、BOW CLUBという未来予智講座を全国で300回以上に渡って開き、延3000頁のテキストを発行、受講者延4000名、企業の理念構築の延長線上でのプロデュースのみを行う。1999年にNPO法人設立、理事長に就任。